歴ブロ 桜匂う地、岩倉市(岩倉編)
たかし〜遊びに来たよー!
あ、結化。
ちょっと、何その反応。またパソコンばっか見て!今度は何調べてるのよ?見せないと・・・
ああもう、わかったよ。今調べてたのは山内一豊公に縁の有る愛知県岩倉市だよ。(こいつの前で調べごとに集中するのは無理だな・・・)
↑岩倉市の地図
そうだね。岩倉市は彼の故郷なんだ。
へぇー、岩倉市ってどんなところなんだろう。
ちょっと俺用事があr・・・
たかしー、教えてー!
やっぱりー・・・
もともと、岩倉は木曽川が形成した犬山扇状地扇端の自然堤防上に発達した集落で、今でも縄文、弥生の遺跡がそこら中に点在しているんだ。
例えば、岩倉市史跡公園はそのいい例で、縄文時代後期から弥生時代後期にかけての遺跡である大地遺跡(だいちいせき)の跡地なんだよ。
岩倉市史跡公園https://ja.wikipedia.org/wiki/岩倉市史跡公園より。
ホントだ!奥の方に竪穴住居が見える。
ちなみに、ここからは沢山の土器が出土していて、それらの一部は岩倉市図書館の郷土資料室で展示されているんだよ。さらにこれを見て。
鳥居建民家https://ja.wikipedia.org/wiki/岩倉市史跡公園より
これは?
市内から移された民家で、十八世紀中頃(江戸時代)に建てられたものなんだけど、「鳥居建」と呼ばれる大黒柱を持たない建築様式で建てられていて、室町時代の家屋の様式をそのまま取り入れているんだ。現在はあまり現存していないんだよ。
へぇー、なかなか凄いのね。
2.岩倉市の歴史(岩倉城統治時代)
ところで、岩倉は弥生時代以降どうなったの?
鎌倉時代・室町時代は荘園として栄えたんだけど、そこまではあまり進展はなかったんだ。
うん。
でも、文明11年(1479年)に織田伊勢守家(岩倉織田家)(注1)当主の織田敏広(もしくは織田信安)が岩倉城を築城してからは、ここを拠点として岩倉織田家が尾張上四郡を支配するなど、統治の上で重要な場所となったんだ。
現在の岩倉城阯https://ja.wikipedia.org/wiki/岩倉城_(尾張国)より
でもそれも、永禄2年(1559年)3月に信安の跡を継いだ嫡男信賢が織田信長に敗れ(注2)岩倉城は落城すると、岩倉城は廃城となってしまったんだけどね。
そうなんだ・・・ところで山内一豊はどうなったの?岩倉で戦いがあったってことは当然巻き込まれているはずだよね。
ああ、当時山内家は先述の織田信安、(後に信賢)の配下で父の盛豊は家老として仕えていたんだ。やがて岩倉織田氏は同族の織田信長と対立したんだよ。
弘治3年(1557年)に兄の十郎が黒田城を襲撃された際に討死、さらに永禄2年(1559年)に岩倉城が落城した際、父の盛豊は討死(もしくは自刃)してしまったんだ。
結果こうして主家と当主を失った山内一族は離散して、諸国を流浪することになったんだよ。
へぇー。
注釈
1当時織田家は尾張国内にいくつかあり岩倉織田家は尾張国の北部四郡の守護代を任されていた。
2岩倉織田家は織田弾正忠家当主織田信長の弟である織田信行の謀反と連動し、織田弾正忠家と対立したため、織田信長に攻め込まれた。
3.岩倉市の歴史(近代〜現代史)と文化
ところで、岩倉城が落城した後、岩倉はどうなったの?
・・・それが、そこから明治時代になるまで、殆ど目立った事柄はなかったんだ。
そ、そうなんだ・・・
でも、明治・大正時代には養蚕・養鶏が岩倉の発展を助けたんだ。ちなみにその影響もあって、今でもゆで卵の生産量は日本一だし、名古屋コーチンがブランドとして人々の間で定着しているんだ。
名古屋コーチン美味しいよね!
ちなみに第二次世界大戦には一宮他周辺の地域の学童疎開を受け入れたりしたんだ。そして終戦後には市の中心を名古屋鉄道犬山線が通り、名古屋駅まで10数分の地の利から昭和30年代後半から名古屋市のベッドタウンとして発展したんだよ。
江南市と似ているね。
そうだね。地理的にも似ているからね。
ところで、なにか観光地はあるの?
うーん・・・毎年四月に五条川で桜祭りがあるよ。去年(令和二年・2020年)はコロナで中止になったけど、毎年3万人近くの人が桜を見に集まるんだ。その桜は桜の名所100選にも選ばれているんだよ。
五条川に咲く桜https://sp.jorudan.co.jp/hanami/spot_255.htmlより
きれいだね。ふぁー、なんか眠くなってきたなあ・・・そろそろ帰るね。
それじゃあ今回はここまでにしようか。
うん。
参考文献
協力
岩倉市民の方