歴史・文化探求ブログ

歴史・文化Projectの歴史・文化探求ブログです。

歴ブロ 息抜き編 日本全国の化け狸たち 〜後編

※今回は少し思うところがあって、実話に基づいていない形式で書いております。各話の正体が知りたい場合はそれぞれの狸のWikipediaを御覧ください。

 

 

1.屋島太三郎狸

f:id:historycultureblog:20200506140110j:plain

四国屋島寺蓑山大明神夫妻像https://ja.wikipedia.org/wiki/太三郎狸より

 

f:id:historycultureblog:20200410012245j:plain

さて、いよいよ最後の三名狸だね。この狸は三名狸のなかで、いや全化け狸のなかで多分一番良心的、良心の塊のような狸なんじゃよ。

 

f:id:historycultureblog:20200410012324j:plain

妖怪なのに?(ん?今”じゃよ”って言わなかった?)

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012158j:plain

ああ、普通の化け狸は結構キツイいたずらをするんだけど、太三郎狸にはそういう話が一切ないんだ。それもそのはず、太三郎狸は仏教に深く帰依した狸じゃからな。

 

f:id:historycultureblog:20200410012139j:plain

太三郎狸の先祖は平重盛(平清盛の嫡男)に矢傷で死にかけたところを助け出されていてその恩義から平家の守護神になったんじゃ。

 

f:id:historycultureblog:20200410012314j:plain

へぇー・・・それにしてもなんか口調おかしくない?

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012134j:plain

ゴホンゴホン・・・済まない。今日は少し調子が悪くてね、話を続けようか。太三郎狸は、平家滅亡後には屋島に戦乱や凶事が起きそうなときはいち早く屋島寺住職に知らせたらしく、そうした経緯から太三郎狸屋島寺の守護神、蓑山大明神となったんだ。

 

 大明神ということは・・・神格?仏と神が融合したってことかな?f:id:historycultureblog:20200410012314j:plain

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012158j:plain

そうだね。多分神仏習合の考えの影響じゃないかな。ちなみに別の伝説では、屋島寺の守護神となったのは開創が唐僧の鑑真和上で、盲目の鑑真和上を案内したからと言う説もあるよ。

 

f:id:historycultureblog:20200410012352j:plain

確か、鑑真和上って奈良県唐招提寺を開創した人だよね。

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012134j:plain

 ああ。さらに、空海を助けたこともあったんだよ。空海四国八十八ヶ所霊場を創建しようとしていてその道中だったんだけど、霧のせいで山中で立ち往生していたんだ。そこに老人に化けた太三郎狸が現れて道案内をしたらしいよ。

 

f:id:historycultureblog:20200410012158j:plain

鑑真や空海の教えを聞いて感服した太三郎狸は、狸の徳を高めようと屋島に教育の場を設けて、全国から集まった若いタヌキたちに勉学を施していたとも言われているんだ。

 

 大妖怪だったんだね。f:id:historycultureblog:20200410012324j:plain

 

 

 f:id:historycultureblog:20200410012139j:plainうん。その変化妙技は日本一と称されていて、最終的に四国の狸の総大将になったらしいんだ。「大寒(毎年1月20日頃)になると300匹の眷族が、太三郎狸が見せる源義経の八艘飛びや弓流しの幻術を見るために屋島に集まってきた」という伝説が有るくらいだから相当な腕だったんじゃないかな。

 

f:id:historycultureblog:20200410012158j:plain

しかも屋島寺の住職が代替わりする際にも、寺内の庭園「雪の庭」を舞台として、合戦の模様を住職の夢枕で再現してきたらしいよ。今の先々代の屋島寺の住職さんはその幻術を見たことが有るらしい。

 

f:id:historycultureblog:20200410012314j:plain

 結構最近なんだね。

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012139j:plain

 少し話を戻すと、後に太三郎狸は猟師に撃たれて命を落としてしまうんだ。ちなみにこれは誤射だったみたいで、猟師は悲しんだとされているよ。

 

f:id:historycultureblog:20200410012407j:plain

あらら・・・

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012158j:plain

死後の霊は阿波(今の徳島県)に移り棲み、人に憑くようになったらしいんだ。嘉永年間には阿波郡林村(今で言う阿波市)の髪結いの女性に憑いて、吉凶を予言したり、狸憑きを落としていたといわれるんだよ。

 

f:id:historycultureblog:20200410012427j:plain

え?狸憑きを落とす?

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012245j:plain

狸憑きというのは、狸が人間につくことで憑かれた人間は徐々に精気を失っていきやがて死んじゃう恐ろしいものなんだけど、太三郎狸はそれを祓っていたんだろうね。

 

f:id:historycultureblog:20200410012324j:plain

へー。

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012139j:plainこれは最近の話だけど、日清日露戦争では太三郎狸が多くの子分たちと共に満州へ出征して活躍したといわれていて、大量のアズキの粒を兵士に変えて敵陣に向かわせ、日本軍に勝利をもたらしたとも語られているんだ。

 

f:id:historycultureblog:20200410012314j:plain

これも明治維新後ってことは結構最近なんだね。

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012158j:plain

 ああ。他の狸の記録は敵であるロシアにも有ったんだよ。

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012427j:plain

へー。ところでさ、前回行っていた、阿波狸合戦ってなんなの?

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012148j:plain

おっと。忘れるところだった。そうだね、次の項で紹介しようか。
 

 

 2.阿波狸合戦

f:id:historycultureblog:20200410012139j:plainまず、阿波狸合戦について概略を説明するね。

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012314j:plain

うん。

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012139j:plain

阿波狸合戦はその名の通り、江戸時代末期に阿波国(今で言う徳島県)で起きたというタヌキたちの大戦争の伝説だよ。別名阿波の狸合戦・金長狸合戦ともいうね。

 

f:id:historycultureblog:20200410012134j:plain

ことの発端は、大和屋という染物屋を営む茂右衛門という人が、人々に虐められそうなタヌキを助けたところからところから始まるんだ。

 

f:id:historycultureblog:20200410012314j:plain

 うん。

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012158j:plain

そこから程なくして、大和屋の商売がどんどん繁盛し始めたんだ。やがて、店に務める万吉という者にタヌキが憑き、素性を語り始めたんだけど、それによればタヌキは「金長(きんちょう)」といい、206歳になる付近の頭株だったんだ。万吉に憑いた金長は、店を訪れる人々の病気を治したり易を見たりと大活躍し、大評判となったんだよ。

 

f:id:historycultureblog:20200410012314j:plain

恩返しってやつだね。

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012139j:plain

ああ。そしてしばらくしたある日、まだタヌキとしての位を持たない金長は、津田(今の名東郡斎津村津田浦、現・徳島市津田町)にいるタヌキの総大将「六右衛門(ろくえもん)」のもとに修行に出たんだ。

 

f:id:historycultureblog:20200410012158j:plain金長は修行で抜群の成績を収めて、念願の正一位を得る寸前まで至ったんだ。

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012427j:plain

正一位?官位のこと?

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012139j:plainああ。この場合の正一位は神階だね。神社や神様の格だよ。ちなみに神様に寿命はないから年を経ることにどんどん進階されたんだけどね。

 

f:id:historycultureblog:20200410012324j:plain

そんな制度があるんだね。

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012134j:plain話をもとに戻すよ。その後、六右衛門は優秀な金長を手放すことを惜しみ、娘の婿養子として手元に留めようとしたんだ。でも金長は茂右衛門への義理に加え、残虐な性格の六右衛門を嫌ってこれを拒んだんだ。

 

f:id:historycultureblog:20200410012427j:plain

まあ・・・確かに助けてもらった恩義が有るからね。

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012139j:plain ところが金長のこの態度に不満を持った六右衛門は、金長がいずれ自分の敵になると考えて、自分の家来とともに金長に夜襲をかけたんだ。金長はともに日開野から来ていた狸の「藤ノ木寺の鷹」とともに応戦したんだけど、鷹は戦死してしまって、どうにか金長のみが日開野へ逃れられたんだ。

 

f:id:historycultureblog:20200410012333j:plain

ありゃ、死人(?)が出ちゃった・・・ 

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012139j:plain

その後、金長は鷹の仇討ちのため同志を募って、打倒六右衛門を掲げて六右衛門軍と戦ったんだ。この戦いは金長軍が勝って、六右衛門は金長に食い殺されたと言われているね。

 

f:id:historycultureblog:20200410012314j:plain

一応、先に手を出した六右衛門が負けたんだね。

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012158j:plainでも、金長も戦いで傷を負って、まもなく命を落としたちゃったんだ。茂右衛門は正一位を得る前に命を落とした金長を憐んで、自ら京都の吉田神祇管領所へ出向き、正一位を授かって来たといわれているよ。

 

f:id:historycultureblog:20200410012134j:plain

ちなみに、吉田家は江戸時代に神社の管理を任されていた家だね。

 

 

 へー。でも、太三郎狸出てこなかったね。f:id:historycultureblog:20200410012314j:plain

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012139j:plain

 この話には異説があって、「淡路島の化け狸である芝右衛門狸も、合戦に参戦した。」という説や、「金長と六右衛門の戦死後、2代目の金長と六右衛門の息子との間で弔い合戦があったが、さっき紹介した太三郎狸が仲裁に入って、合戦は終結を迎えた。」という説など色々とありすぎて真相は謎だね。一応下にほかの説も記載しておくね。(すべてWikipediaより引用)

 

・瀕死の金長は、霊となって万吉に憑き、死後も霊として永遠に茂右衛門の家の神として報恩を誓った。これに心を打たれた茂右衛門は、金長を大明神として祀った。

 

・金長は合戦で致命傷を負ったものの、必死に日開野へ帰り、恩義ある茂右衛門に礼を述べ、力尽きた。その生き様に心を打たれた茂右衛門は、金長を大明神として祀った。

 

・六右衛門の娘の名は「小安姫(こやすひめ)」といい、彼女は金長に恋焦がれており、金長を攻めようとした六右衛門側を批難し、ついには自刃することで父を咎めようとした。だが、小安姫の死によって却って六右衛門の憎悪が増長した。また、金長も、自分を愛してくれた小安の死を知り、打倒六右衛門の決意を固めた。

 

・合戦の舞台である勝浦川を挟み、金長軍総勢600匹余り、六右衛門軍総勢600匹余りが対峙し、死闘は3日3晩に及んだ。

 

f:id:historycultureblog:20200410012324j:plain

結局真相は謎だね。

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012134j:plain

語り継がれていくうちに、色々と話は変化していくからね・・・儂も疲れたワイ。ここらで御暇するかのう。

 

f:id:historycultureblog:20200410012333j:plain

え!?敬史?何その口調?

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012148j:plain

あれ?そういえば僕は何を!?

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012215j:plain

なんかつかれたなあ・・・悪いけど今日はもう帰ってもらっていい?

 

 

f:id:historycultureblog:20200410012324j:plain

う、うん・・・(何が有ったんだろう?)

 

 

3.この記事を書くにあたって

 お久しぶりです。この記事を書きましたGĖNです。この記事をご覧になった皆さんの心境を一言で代弁させていただくとするならば「とうとうネタに走ったか?」だと思います。あながち間違いでは無いのですが、一つ私の下らない言い訳にお付き合いいただけないでしょうか?

 今やインターネットには情報が溢れており、情報の価値というのは暴落し尽くしたと言っても過言でもありません。正確な情報が安価で迅速に手に入るようになってしまったのです。挙句の果てにはフェイクニュースという嘘の情報すら出てきているぐらいです。そういったフェイクニュースの大半は人を騙すためにあるので、騙された人はまあ確実に怒るでしょう。先日Twitterでこのような文章を見かけました。「嘘を嘘と怒る人は増えたが、嘘を楽しむ人はいなくなった」という文章です。実際そういう人は減ったのかもしれませんが、それには「情報の正確化」が鍵になっているのではないかと僕は思うんです。この情報の正確化によって、リアルな物を作らないと誰も見てくれない。ならば騙されたと気づかないくらいリアルなものを作ってやろう。そんな状況ができてしまったのではないかということです。リアルすぎる嘘の情報というのは、大概騙されると被害の大きいものです。故に騙されると皆が怒る物となってしまうのです。しかし、このような狸の話というのはどうでしょう?このような伝説を、実際江戸時代の人が怯えながら語っていたのでしょうか?否、僕は半ば楽しみながら彼らはこれを人に語っていたのだと思います。こういうものは嘘を嘘として楽しみながら話し、聞くものです。僕は今回、そういった嘘を楽しめるような話を作ろうと思いこの話を執筆させていただきました。

 おっと、狸たちの宴会に呼ばれていたんだった。遅くなるといけないのでここらで御暇します。さようなら、またどこかでお会いしましょう。

 

参考文献

団三郎狸 - Wikipedia

団三郎狸 (だんざぶろうたぬき)とは【ピクシブ百科事典】

芝右衛門狸 - Wikipedia

芝右衛門狸(しばえもんだぬき) - 神魔精妖名辞典

太三郎狸 - Wikipedia

太三郎狸 (たさぶろうだぬき)とは【ピクシブ百科事典】

平重盛 - Wikipedia

屋島と浄願寺のタヌキ(高松市)-21世紀へ残したい香川 | 四国新聞社

 

 

 

協力

二つ岩大明神

柴右衛門大明神

蓑山大明神

他大勢の狸様