歴史・文化探求ブログ

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歴ブロ 裏文化史① 刀の試験、試刀術

※今回は若干グロテスクな表現がございますので、苦手な方はここで閲覧をおやめ下さい。

 

1.裏文化史とは

 

この裏文化史では、様々な理由(主に大人の事情)で歴史の教科書に載らないトピックを紹介していきます。殆どの場合、センシティブもしくはグロテスクな内容が含まれますので、閲覧の際は十分ご注意下さい。それでは、続きをお楽しみ下さい。

 

2.試刀術との出会い

 

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〈歴山敬史〉

・・・

 

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〈文野結化〉

ねえねえ、何見てるの?

 

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うわっ!びっくりした。勝手に部屋に入ってくんなよ・・・。それに、あんまり今調べている事は良いものじゃないぞ。

 

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え、なになに・・・ 

 

 

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https://ja.wikipedia.org/wiki/試し斬りより

 

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((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

 

 

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な?だから言ったろ?お前にはまだ早いって。

 

 

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なんか敬史に言われると腹立つ!このくらいどうってことないわよ!良いから教えなさいよ!

 

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やめといたほうが良いのになあ・・・

 

 

3.室町時代の終焉と試し切り

 

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 本当に話すの?

 

 

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しつこいわね。血でも死体でも何でも話しなさい!

 

 

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・・・わかった。それじゃあ、まずは試刀術の始まりから話そうかな。そもそも、刀が多く生産され始めたのは、室町時代末期から安土桃山時代、俗に言う戦国時代なんだ。

 

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なんで?

 

 

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応仁の乱の頃から、たくさん使われた雇われ兵のことをなんと言ったっけ?

 

 

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 たしか足軽だっけ?でも、最初の頃は戦闘に従事していなかったんだよね。戦国期辺りに戦いも行うようになったんだっけ?

 

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そう。そのときに、足軽も武器を持って戦わなくてはいけない。でも、雇われているぐらいだから、足軽にはいい武器を買う余裕なんかないよね。でも、粗悪でない刀を作れる刀工の数は限られているし、供給される刀の本数も限られている。そうなると、世には”或るもの”が沢山で回ることになる。なにかわかるかい?

 

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粗悪な刀?

 

 

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正解。刀剣の需要の爆発的増加に応えるために、お貸し刀(農兵・足軽に貸される刀)などの粗悪な「数打物」と呼ばれる粗製濫造品が大量に出回るようになったんだ。 その後、戦国時代中期には、刀工が多く生まれたことにより、名刀の生産も増えたんだけど、粗悪品もまだ多く出回っていたんだ。

 

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 よくある話だよね。

 

 

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しかし、下剋上の世では、いつ寝首をかかれるかわかったもんじゃない。それなのに、粗悪な刀で身を守るなんて危なっかしい話無いよね?そこで生まれたのが試刀術というわけだ。次の項で詳しく紹介するよ。

 

4.安土桃山中期から江戸時代における試し切り 

 

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最初に試し切りを大成したのは、美濃国の出の武将谷衛好(もりよし)・衛友(もりとも)父子だとされているんだ。衛好が独自に手法を編み出して、衛友がそれを一つの流派として完成させたんだよ(谷流)。

 

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この谷流の恐ろしいところは、美術的価値だけでなく、実戦においての刀の格付けを行うために、鎧や兜と言った武具、ときには死体や死罪となった罪人で試し切りを行ったんだ(注1)。

 

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うわっ・・・えっぐ・・・ 

 

 

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でも、これには高度な知識と教養、そして何より練度の高い技術が必要だったんだよ。谷流の門下からは沢山の試し切りの名手を排出したんだ。例えば、暴れん坊将軍に出てきた山田朝右衛門は谷流の試刀術の名手山田浅右衛門(朝右衛門と名乗っている時期もあり)がモデルなんだよ。この人は徳川吉宗の時代に、初代公儀御様御用(こうぎおためしごよう)という刀剣の試し切り役に任じられたんだ。死刑執行人も兼任していたみたいだけどね。

 

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公職にもそんな物があったんだ・・・

 

 

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吉宗自身が武闘派だったこともあって、刀剣収集を行っていたからというのが主な要因だね。あとは、平和な世の中になって、実戦がなくなったために刀剣の切れ味がわからなくなってしまったというのも要因みたい。

 

 

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ちなみに衛友が秀忠の御伽衆だったこともあって、他にも沢山の谷流の門徒が幕府に仕官したと言われているよ。中川佐平太は幕府書院番(注2)に出仕したこともあんるんだけど、この人もたくさんの門下を出したらしいんだ。

 

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ただ、徳川家綱・綱吉の時代に血を忌み嫌う風潮が出来たために(注3)、山田家以外の試し切りは廃れていき、山田家も悪い噂が流されたり、忌み嫌われるようになってしまったんだけどね。
 

 

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 まあ、そうよね・・・

 

 

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このときに行われた政策によって(注4)牢人が減って、辻斬りなどが少なくなったから、悪いことではなかったんだけど、山田家の人からしたら根も葉もない噂をされて災難ではあっただろうね。

注釈

ルイス・フロイスの記録にも、ヨーロッパにおいては動物を使って試し斬りを行うが、日本人はそういうやり方を信用せず、必ず人体を用いて試し斬りを行っているという記述がある。

江戸幕府の将軍直属の親衛隊。慶長10年(1605年)に設立。水野忠清、青山忠俊、松平定綱、内藤清次が初代番頭に任じられた。

3服忌令のこと。服忌令は死者が出たときに、近親の度合いに応じて喪にこもる服忌や忌日の日数を定めたもの。徳川綱吉が制度化した。

末期養子の禁止の緩和のこと。それまで禁止されていた跡継ぎのいない大名が死に臨んで(末期)、急に相続人(養子)を願い出ることを17歳以上50歳未満の大名に認めたこと。これにより、後継ぎがいなくて改易される大名がなくなり、牢人も大幅に減った。

 

5.明治以降の試し切り

 

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その後山田家はどうなったの?

 

 

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一応江戸幕府が崩壊した後、8代山田浅右衛門吉豊とその弟山田吉亮が「東京府囚獄掛斬役」として明治政府に出仕し、引き続き処刑執行の役割を担ったんだけど、明治3年(1870年)には弁官達によって、刑死者の試し斬りと臓器の取り扱いが禁止されちゃったんだ。まあ、廃刀令もあったし、時代背景にあっていなかったんだろうね。

 

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それじゃあ、それからは完全に人体の試し切りはなくなったの?

 

 

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じつは日中戦争中に軍刀や古刀を用いて捕虜に対する試し斬りが行われたという証言があるんだよね(注1)・・・

 

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・・・(この話は聞かなかったことにしよう)。

そ、それじゃあ今はどうやって刀の切れ味を確かめているの?

 

 

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藁、畳、竹、兜、豚肉等をつかっているみたいだよ。竹は、骨と、豚肉は筋肉と同じくらいの強度があるみたい。藁は実際は殆ど使われなくて、畳表が主流になってるみたい。

 

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へぇー。それじゃあ、ある意味平穏な世の中になったんだね。

 

 

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今の時代に生まれてよかったよ!

 

 

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なんか今日は疲れちゃった。そろそろ帰るね・・・。

 

 

 注釈

1日本軍中島今朝吾第16師団師団長の日記によれば「本日正午高山剣士来着す。捕虜七名あり。直に試斬を為さしむ。時恰も小生の刀も亦此時彼をして試斬せしめ頚二つを見込斬りたり」と捕虜を使って試し斬りを行ったと記している。岡田酉次が著した日中戦争裏方記によれば、とある一戦の後、捕虜を得たと裏方に情報が伝わると、試し斬りのために刀剣を持った日本兵が我先に集まったという。(Wikipediaより引用)

 

6.この記事を書くにあたって

実を言うと、私自身、このブログを書く前は、試し切りについてあまり良くないイメージを持っていました(というか今でもあまりいいイメージは持ってません)。しかしよく調べてみると、時代のニーズにとても合致しているのではないだろうかというふうにも思うのです。試し切りの歴史は室町後期の刀剣の需要爆発・供給爆発に始まり、江戸時代の鑑定の需要爆発によって職が確立し、明治期の廃刀令に終わる、まさに刀剣とともに盛衰を歩んだものでした。こういう話をお嫌いになる方も多いとは思いますが、是非ご自分でも調べてみて下さい。面白いものが見つかるかもしれませんよ。

 

刀の試験、試刀術終

 参考文献

日本刀 - Wikipedia

試し斬り - Wikipedia

谷衛友 - Wikipedia

山田浅右衛門 - Wikipedia

ハガクレ★カフェhttps://ja.wikipedia.org/wiki/書院番

書院番 - Wikipedia

 山川日本史小辞典