歴ブロ 衰退しゆく、名張の地4
⒋名張史(近代〜現代)
この記事の作者は名張出身です。一部名張の批判と思われるところもございますが作者の愛情によるものです。
〈文野結化〉
いよいよ現代に近付いてきたなぁ
〈歴山敬史〉
そうやなぁ
1930年に参宮急行電鉄が開通して、大阪と鉄道で結ばれた名張やけど、戦争が終わるまでは、ずっと田舎のままやったんや
そうやったんやー
戦後はどうなったん?
1954年に、名賀郡名張町・滝川村・箕曲村・国津村が合併して、市制が施行されたんや
「名張市」の誕生やな
おめでとう〜!!
その後、1959年に伊勢湾台風の被害を受けたり、色々あったんやけど、1963年に、桔梗が丘住宅地の造成が始まって……
こっから、名張市の発展が始まったんや!!
おぉー!!!
おめでとうやで!!!!!!
それまで山の中の田舎やった名張市で、大阪都市圏のベットタウンとして都市化が進んでいったんや
近鉄特急が停車して、大阪の中心部まで1時間以内で通えるっていうこともあって、急速に人が増え始めたんや
名張すげえぇぇぇ!!!!!!
人口増加はどんどん加速して、1981年、名張市の人口増加率が7.8%となって、日本一に輝いたんや!
ニホンイチッッッ!!!!!!
http://pop-obay.sakura.ne.jp/figures/figures24208.html より
すごーい
名張めっちゃ都会やーん?
でも、グラフから分かる通り、最盛期は8万5000ほどまで増えた人口は、2000年頃をピークに減少し始めたんや……
えぇ、なんで!?
どうした名張……
より大阪に近い奈良県香芝市でニュータウンの造成が進んだり、都心回帰傾向もあったりして、世帯数・人口が減少し続けたんや
どんどん住人の高齢化も進んで、今となっては、年々、色んなお店が看板を下ろしたり、速達電車の本数が減らされたりしてるんや
あらま。
かわいそうに……
名張市の歴史・文化⑧
1954年に、「名張市」が誕生した。その後、近畿日本鉄道の大阪線を利用することで、大阪の中心部まで1時間以内でアクセスが可能である名張市では、大阪のベッドタウンとして三重県で唯一の大阪都市圏となった。ニュータウンの造成が始まり、「桔梗が丘」「つつじが丘」「百合が丘」「すずらん台」など、花の名前のついた大規模住宅地があちこちにできた。
1981年には、人口増加率が日本一になった名張市であるが、21世紀を迎える頃、8万5000人をピークに減少し始めた。人口流出と高齢化が止まらない。衰退待ったなしである。近鉄は、ダイヤ改正の度に快速急行の本数を減らしている。
近鉄大阪線の急行電車は、名張市内とその付近において、16駅連続で停車し、各駅停車と化す。利用客の少ないこの区間で、電車の運行本数を減らすためである。名張市は、近鉄によって発展し、近鉄(近鉄不動産)の力で守られてきたが、ついに、近鉄でさえ手に負えないほどに落ちぶれてしまったのだ。
あとはあれやな
なんや?
さっきは大阪の影響が強いゆーたけど、実は名張市って、西日本の文化と東日本の文化が入り交じってる地域なんや
何それ!
どっちつかずは良くないやろ!!
西と東の良いとこ取りやと思ってあげて……
名張市の歴史・文化⑨
名張市は、中京圏の三重県にありながら、大阪・奈良との結び付きが強い。食文化は西が強く、カップ麺などは、四日市市や津市などでは東日本バージョンで販売されているのに対し、名張市では西日本バージョンが販売されている。しかし、銀行などの金融機関や、商業施設は中京系が強く、第三銀行や百五銀行、マックスバリュ中部などが覇権を握っている。
これが、いわゆる「三重県は近畿地方か東海地方か」という議題を生んでいる。名張市など早々に除外しておけば良かったものを。三重県も馬鹿である。
特に面倒くさいのは、マスコミ系である。新聞は関西系であるが、テレビ放送は中京系である。かつてはどちらも関西系の情報を発信していたが、地デジ普及以後にこうなってしまった。これに名張市民は激怒し、関西系の放送が行えるケーブルテレビ局ができた。
でもやっぱり、名張市っていい街やな
どういうところが?
人口減少・高齢化が進んでる今、名張市は誰もが安心して住みやすい福祉のまちづくりを目指して頑張ってるんや
ベッドタウンから「福祉のまち」へ
やな!
大阪からも名古屋からも近い
それと、田舎やけど、田舎過ぎやん
住みやすそうな街やろ!
名張市か。
いいね!!
うん!!
名張市の歴史・文化⑩
最後まで読んでいただきありがとうございます。
最後まで名張市をディスりまくりましたが、これは私の勝手な名張市のイメージであり、事実と異なる場合があります。市民の皆様、すみませんでした。さて、私の思う名張市の魅力は、「中途半端」なところです。住宅都市と農村集落の共存、東西文化の共生、自然と文化の調和、若者とお年寄りが共に生きるまち、それが名張だと思うのです。私は、そんな名張市が大好きであり、ここで育ったことを誇りに思っています。
ところで、名張と同じような、また名張以上に苦しい境遇に立っている地域は、全国にたくさんあると思います。そうなると、自分の故郷に「魅力」を感じられなくなるかもしれません。今回、名張市の歴史を辿ってみました。その土地の歴史を知ることは、未来という歴史を築くための礎となります。人が去っても、子供が減っても、歴史は残ります。その土地の持つ歴史や文化を知り、温めることで、そこに「魅力」を残すことが出来るのではないでしょうか?
さて、私は散々名張市の悪口を言い散らかしましたが、郷土愛を持ってこれを書かせていただきました。私は名張市が大好きです。名張市は良い所です。そんな名張市に、
ぜひ、来てだあこ。
参考文献