歴ブロ 第一回 歴史古き地、那古野の地 (円頓寺界隈歴史編)
〈文野結化〉
私も今年から高2かー。あと一年したら受験だし、今年のうちに楽しまないと。
あ、あれは!おーい、敬史ー!
〈歴山敬史〉
ゲ・・・結化だ。あいつと関わるとロクなこと無いんだよな・・・。
ちょっと、何よその顔。まあいいや。それよりもさ・・・
なんだよ・・・始業式終わったから早く帰りたいんだけど。
えーいいじゃん!どうせ帰っても何もすること無いんでしょ?
いや今日は名古屋の円頓寺界隈(注1)について調べようと思ってたんだけど。
えんどうじ?なにそれ?
円頓寺界隈は名古屋駅の北、旧名古屋城下を流れる堀川の西にある商店街一帯を指す地名だよ。
商店街?面白そう!じゃあ、帰ってから敬史の家行くね。
え?ちょっ、ちょっと待てよ!・・・行っちまった。面倒だな・・・。
注釈
1ここで言う「円頓寺界隈」とは現在の那古野地区であり、四間道、円頓寺商店街、円頓寺本町商店街を含む一帯を指す。その中には長久山圓頓寺(えんどんじ)が含まれる。
1 円頓寺商店街の成り立ち(江戸時代)
――敬史の家
へー。こんな所に商店街が有ったのね。でもなんでこんな名古屋駅から離れた所に立地しているのかしら?
それは、駅がもともと騒音と煙を撒き散らす『迷惑施設』だったからだよ。だって考えても見なよ、そんな迷惑施設を街の中心部に建てるわけ無いだろ?
なるほど。駅では無くて街が先にあったのね。
そうだね、円頓寺商店街の起源は江戸時代まで遡るんだ。さっきも言った堀川で名古屋城下まで船荷を運び、円頓寺商店街近くの五条橋で降ろしていたんだよ。ちょっとこの地図を見て。
あ、そういうことか。名古屋城のすぐそばまで堀川が伸びてるんだ。
そう。しかもここに美濃路ってあるでしょ?これが愛知県の宮宿(注1)から岐阜県の垂井宿(注2)まで繋がっていて、東海道と中山道を結ぶ主要な道路だったんだよ。
なるほど、円頓寺界隈が栄えたのは美濃路と堀川が近くにあったからなんだ!
御名答! 街道や水運が近くにあれば物流が盛んになる。すると周辺に川伊藤家(注3)などの商人が集まる、更に船に関わる荷運び屋や船頭も集まるでしょ?
たしかにそうね!
注釈
1別名熱田宿。現在の愛知県名古屋市熱田区にあった東海道41番目の宿場町。近くには尾張の戦国大名織田信長が桶狭間の戦いの戦勝祈願をしたこと・三種の神器の一つ天叢雲剣が奉納されていることで有名な熱田神宮や、名古屋城下の寺社地として有名な大須観音がある。
2現在の岐阜県不破郡垂井町にあった中山道57番目の宿場町。近くには美濃国分寺と美濃国衙が存在しており律令制のもとでの美濃国の中枢を担っていた。また、かの戦国武将竹中半兵衛重治公の故郷でもある。国会議事堂に使われている大理石を産出した金生山も近くに位置している。
3清洲越の商家である「伊藤家」の分家に当たり、江戸時代には尾張藩の御用商人も勤めた家である。
2 円頓寺商店街・円頓寺本町商店街の成り立ち(明治〜戦後まもなく)
でもなんでそんなに栄えた土地が知られていないのかしら?
確かに明治維新後も明治44年(1911年)に名鉄瀬戸線が開業し、大正4年(1915年)には瀬戸線の終点となる堀川駅(注1)が開業したり、大正2年(1913年)には名古屋電気鉄道の江川線(注2)が開通したから、円頓寺商店街は江川線・名鉄瀬戸線の利用客や日雇労働者で賑わっていたよ。でも、昭和40年代半ばに市電が閉業、昭和51年名鉄堀川駅廃止となって、徐々に客足が途絶えてしまったんだ(注3)。
なるほどね・・・交通の中心が移動したということかしら?
そうだね。でも最近では町おこしのために色々な事が円頓寺商店街・円頓寺本町商店街で行われているんだ。
注釈
1嘗て愛知県名古屋市中区にあった名古屋鉄道瀬戸線の起点となっていた駅。名古屋城南西部に位置していた。
2嘗て愛知県の名古屋市を中心に鉄道事業を展開していた企業。大手私鉄の名古屋鉄道株式会社や名古屋市営地下鉄を運営する名古屋市交通局の前身である。名古屋電気鉄道の敷設した郊外路線はその一部が名古屋鉄道の路線として運営されているが、名古屋市電となった市内線は昭和49年(1974年)堀川線を含め全線廃止となった。
3名鉄瀬戸線は昭和51年に栄までの乗り入れに着工することになり、堀川駅までの路線(通称・お堀列車)は廃線となった。
3 円頓寺商店街・円頓寺本町商店街の歴史(平成・令和)
さっき町おこしって言ってたけど例えばどんなのがあるの?
例えば、平成19年(2007年)には若手商店主や建築家、クリエイター、大学関係者などが集まり、那古野界隈の活性化を狙って那古野下町衆というグループを結成したんだ。
具体的にどんなことをやってるのかしら?
那古野下町衆のメンバーの秀島栄三先生にお伺いした所によると、 まちあるきのガイドや防災、空き店舗対策を行っていたみたいだね。空き店舗対策に関しては今はナゴノダナバンクとして今は別々に活動しているけどね。
あと、円頓寺本町商店街の飯田洋服店さんと円頓寺商店街の趣味のはきもの野田仙さんと月のののうささんで縁側妄想会議編集室を結成して、平成17年(2005年)にこの情報誌このポゥを作ったんだ。
このポゥにはどんな事が書いてあるの?
例えば円頓寺界隈の地図やイベントの告知だね。実はさっき那古野下町衆について伺った秀島先生も新・堀川物語という題名で記事を書いているんだ。最近では廃校となった旧那古野小学校を改築して「地域の歴史や思い出を継承する小学校の再生であること」「様々な人が交流し、新たな発想が育まれる施設であること」「ビジネスを育て上げる学校として新しい人材を輩出していく施設になること」を目指した建物なごのキャンパスも出来たんだ。
↑なごのキャンパス
そうだったんだ。なんか円頓寺界隈についてもっと知りたくなってきたかも!
今度、円頓寺界隈についてもっと教えて!
え・・・(やべっ・・・火をつけたかな・・・)
円頓寺界隈歴史編終わり
参考文献
協力
那古野下町衆様
縁側妄想会議編集室様
愛知県学生団体あけぼのファミリア様